お金を借りる罪悪感「親に借りるのが情けない」を前向きな教訓にしよう

お金を借りる罪悪感でキツイのは親への借金
お金を借りる罪悪感はだれにもあると思います。
借りる相手は親、友人、消費者金融というように、それぞれ事情によって違いますが、親にお金を借りるのは精神的にもかなりキツイですよね。
いちばん心配をかけたくない人に、その心配を打ち明けて助けてほしいと頼むのですから。
かつて、私も親にお金を借りたとき、「情けない」と自分を責めました。
私の場合は離婚後、精神的な疲れが一気に出てしまい、気力も萎えて仕事が思うように進まないという悪循環が起きました。
気づいたら100万円の借金がありました。
目次
親にお金を借りるのが情けない
いまの状態ではとても返せない、返す気力がないとあきらめてしまった私は親に50万円の借金の相談をしました。
あとの半分は自分でなんとかするつもりでした。
でも、親はそんな私の事情を見抜いていて、「それで全部じゃないでしょ?」と私に100万円を貸してくれました。
借りるときに「ありがとう、後で絶対返すから」と伝えましたが、親からは「そんなことはいいから。こういうときのためなんだから」と言われました。
そして、その日、母親は肉屋で大きなトンカツを買って、夕飯のおかずに出してくれたのです。
肉を食べれば元気になる(笑)というのが、母親の信条。
まさに、元気になってほしいという願いを表現した献立に、涙が出ました。この日の罪悪感は一生忘れません。
数年後、一部だけでも返そうとすると、お金を受け取らずに「貯金しておくように」と言われました。
親に押し付けて受け取ってもらうべきだったのに、このときも私はラクなほうを選んでしまい、罪悪感にかられることになりました。
親のお金と思えばムダに使うことができない
でも、この経験を通してお金にたいする考え方が変わったことも事実です。
それまでは、たまにお金を使いすぎることがあり、あとから罪悪感を感じたものですが、それからは親のお金に生かされたと思うとムダ使いそのものができなくなったんですね。
以後、ムダなものはまったく買わなくなり、どんなものもこわれるまで使い切るか、修理して使っています。
そして、現在。私には罪悪感があるからこそ、ほかの兄弟がやらない実家の故障箇所の修理、掃除、庭の手入れも全部自分でやっています。
親は老いて病院通いもするようになったので、困ったときにはそばにいて、望むことをやってあげたいと思うようになりました。
親の感謝に救われる
あるとき、手術入院となり、手続き、付添い、入院中の着替えの洗濯などを私が手伝いました。
親が望むすべてをやろうと決めましたが、望むのはお金ではなくてささやかなことばかりでした。
「朝、顔を洗うときに、自分の顔にフィットするヘアバンドを買ってきてほしい」とか、「濡れティッシュの予備が多めにほしい」とか。
そして、手術も成功して家に帰れることになったのですが、その晩、親は「ありがとう」と私に向かって手を合わせてくれたのです。
かつて、お金を借してと泣きついたダメな私に。
まだちゃんと返せていない私に。
私は胸が熱くなりました。同時に、こんな自分でも親に求められている存在なんだと思えて、罪悪感が薄らいでいきました。
親にお金を借りたのも人生の教訓。すぐ返せないなら体力を使って返そう!
親にお金を借りたからといって、すぐにお金を返せるわけもないですから、罪悪感は続きます。
相手が受け取ってくれない場合にも、その気持ちは残るでしょう。
ならば、私のようにせめて体力を使って、親の力になってあげませんか。
人は困ったときに助けてもらえるのがいちばんうれしいはず。
親が困ったときこそ、汗を流して力になってあげたらどうでしょうか。年をとればとるほど、それを求められる場面は多くなってきます。
無理のない範囲でできることから、体力を使って恩返しです。
親にお金を借りるという経験は、自分が成長するための教訓だったのかもしれません。
罪悪感にとらわれているなら、そろそろ心の重荷をおろしませんか。
ふさぎこんでいたら、チャンスの神様は素通りしてしまいますよ(笑)。